第15-966 とある呟きへのコメント 「走ってしまった後で考える日本人」
- 2015/10/25
- 16:42
●とある呟きへのコメント 「走ってしまった後で考える日本人」
「心理学書やビジネス書、自己啓発書を数千冊以上読んでみた上で、大半の本の結論を一言にまとめまると、こうなります。
『グダグダ言う前にとにかく行動しろ』よ 」 だって。これ、まず歩け、まず走れに似ている。
このtwitterです。
↓
https://twitter.com/sinrinet/status/657017252030496768
とあるmixiの呟きに、上記twitterが紹介されていた。
http://mixi.jp/home.pl#!/voice/1289112/20151024175532
twitter上も、mixi上も賛同者はそれなりにいいる。
頭によぎったのは、「走ってしまった後で考える日本人」という日本人の国民性を分析した俗説ジョークだ。
*------編集後転載-開始-------*
リーフ@民治主義 2015年10月25日 08:00
日本に右ジョークを紹介したのは朝日新聞ヨーロッパ特派員・笠信太郎氏(後に同紙論説主幹、さらに顧問:1900-1967)が1950年に出版した「ものの見方について」(河出書房市民文庫)だそうです。- イギリス人は歩きながら考える.フランス人は考えた後で走り出す.スペイン人は走ってしまった後で考える -
笠氏はスペインの外交官マドリヤーガ氏の本から引用したそうです。マドリヤーガ氏というのは国際連盟事務局長を務めた方で「祖国を思う名著」の中にこのジョークが書かれているのだそうです マドリヤーガ氏は、自国国民性を分析して反省し、笠氏は戦後の「新生日本」の歩む指針を探り当てようと書いた本であったと言う。
笠氏はイギリス人のものの見方に共感。笠氏の主張は「歩く早さがちょうどよい」「歩きながら考えるとなると第一に抽象的ななことは考えられないから,足が地に着いた考え方ができる.第二に歩くこと(実践)と考えること(思索)がバラバラでなく,平行して進む.第三に一箇所に立ち止まらず,つねに考え続けることになる」
上記の笠氏、マドリヤーガ氏の言であることを紹介してるのは、下記アドレスの情報『「走りながら」から「歩きながら」へ』。それには、日本学術会議が日本学術財団を通して1996年から毎月発行している雑誌「学術の動向」2007年1月号(第十二巻第一号)への、東京女学館大学の副学長である天野正子教授からの「思索が生まれる『現場』へ」(54-57ページ)と題する寄稿をヒントにした考察である旨、書かれています。
以上のソース:http://www.pol.gp.tohoku.ac.jp/~hanawa/ori/contents/020.html
(http://www.pol.gp.tohoku.ac.jp/~hanawa/ori/index.html)
【リーフ私見】私は、笠氏が日本軍国主義を反省し、それに持って行かれた日本国民の国民性を反省し、どうすれば日本国民がこのような過ちをせずに済んだのか、思考形態に着目して、歩きながら考える国民になれという主張に共感する。
「グダグダ言う前にとにかく行動しろ」という思想に共鳴するのは、「スペイン人は走ってしまった後で考える」このジョーク以下であると思う。スペイン人は走った後で「考える」。我が日本国民は走った後で考えたか?考えていない。この70年間たった一度も、右も左も社会契約を国民に啓蒙していない。democracyが人民支配のことであり、人民主権の事であると啓蒙していない。
上記「思索が生まれる『現場』へ」(54-57ページ)と題する天野氏の寄稿の最後の段落の全文だと言う右の分析も傾聴に値する「・・・理論や方法が差しせまって存在する問題を解き明かすために選ばれるよりも,理論や方法に見合った問題が選びとられる傾向がますます強まっているのではないか・・・」
これは憲法学の小林節氏にあてはまると思う。国家緊急権を必要とする自身の主張は「理論や方法が差しせまって存在する問題を解き明かすため」のものではない。我田引水。憲法を守らない国家やdemocracy(人民支配・人民主権)を全く認識できない国民を置いてけぼりにして、条文だけ切り出しして思考している。
権力がプロレスラーであり、権力の前には、いかに発達した国民でも、国民の「言論」は子供レベルの実力だ。そののど元に短刀を突きつけて、「俺もお前も同じ人間だよな。俺にも言論の自由があると言え」と迫っているのが安倍晋三だ。権力に言論の自由はない。権力 vs 言論 だ。小林節はこうした問題は素通りしている。
【了】
*------編集後転載終了--------*
<参考情報1>
「走りながら」から「歩きながら」へ
http://www.pol.gp.tohoku.ac.jp/~hanawa/ori/contents/020.html
(http://www.pol.gp.tohoku.ac.jp/~hanawa/ori/index.html)
*----引用開始-----*
「走りながら」から「歩きながら」へ
「若き研究者の皆さんへ(100)」のエッセイ「走りながら考えることも・・・」(2006年10月5日)の冒頭に,私はエスニックジョークとして次のようなものを覚えていると記した.
- イギリス人は走る前に考え,フランス人は走りながら考え,イタリア人は走った後で考える -
エッセイを書いているとき,その出典を探そうとして失敗していたが,つい最近,ひょんなことからそれがわかった.正しくは,次のようなジョークだったのである.
- イギリス人は歩きながら考える.フランス人は考えた後で走り出す.スペイン人は走ってしまった後で考える -
すなわち,そのエッセイの後のほうに書いたジョークの,日本人を揶揄した最後の文を除いたものが,正しかったことになる.
日本学術会議は日本学術財団を通して1996年から毎月,雑誌「学術の動向」を出版し,さまざまな情報を発信している.私も創刊当時,日本学術会議に設置された,いくつかの研究連絡委員会(研連)の委員に就任していたこともあり,この雑誌を定期購読している.
この2007年1月号(第十二巻第一号)に,東京女学館大学の副学長である天野正子教授が,「思索が生まれる『現場』へ」(54-57ページ)と題する記事を寄稿している.その中に,上記のジョークが書かれていたのである.まず,この記事から,このジョークが日本人に知られた経緯を述べることとしよう.
日本にこのジョークを紹介したのは,朝日新聞ヨーロッパ特派員,笠信太郎氏(後に同紙論説主幹,さらに顧問:1900-1967)が1950年に出版した「ものの見方について」(河出書房市民文庫)の本であった.この本はたちまち50万部を売りつくほどの大ベストセラーとなり,1950年代初頭を代表する本になったという.そして,このジョークは,一時流行語にもなったのだそうだ.
笠氏は戦時期,ヨーロッパ各国,特にイギリス,フランス,ドイツに滞在していた.そして,この3か国の国民の「ものの見方」の特徴を解き明かし,そこから,戦後の「新生日本」の歩む指針を探り当てようとして書いたのが,この本であったという.本の中では,イギリス人,フランス人,ドイツ人を引き合いに出し,結局はイギリス人のものの見方に共感し,そしてそのようなもの見方を日本人がしなければならないことを主張しているという.
笠氏は彼の本の冒頭に,スペインの外交官マドリヤーガ氏の本から,このジョークを引用した.ウェッブサイトで調べたところ,マドリヤーガ氏は,国際連盟事務局長を務めた方で,「祖国を思う名著」を記しており,その中に,このジョークが書かれているのだという.どおりで,このジョークに,スペイン人が出てくるわけである.マドリヤーガ氏は,自国の人の特徴を分析して,(恐らく,反省の上に立って)表現されたのであろう.
なお,これもインターネットで調べて知ったことだが,笠氏は,彼の本の中で,ドイツ人を評し,「ドイツ人は考えた後で歩き出し,歩き出したら考えない」とも書いているという.しかし,私自身は「ものの見方について」を読んでいないので,真偽のほどは確かではない.
さて,天野氏の記事に戻ろう.「学術の動向」の記事で天野氏は,歩きながら考えることの重要性を説いている.「『歩きながら考える』スタイル」は,「『はじめに概念や定義,理論,方法ありき』の逆をいく,当事者の生きる現場を重視する発想である」と主張する.
また,「歩く早さがちょうどよい」(2つ目の小見出し)のだそうだ.「歩きながら考えるとなると第一に抽象的ななことは考えられないから,足が地に着いた考え方ができる.第二に歩くこと(実践)と考えること(思索)がバラバラでなく,平行して進む.第三に一箇所に立ち止まらず,つねに考え続けることになる」と笠氏が主張していることを紹介している.
そして,天野氏の記事は,次のように結ばれている(57ページ).やや長文になるが,最後の段落の全文を引用しておく.
「ひるがえって大学院で論文指導をし,専門学会誌での査読者を経験してきた研究者としての立場からするとき,問題よりも理論や方法の先行した論文の多さに疑念を抱かずにはいられない.理論や方法が差しせまって存在する問題を解き明かすために選ばれるよりも,理論や方法に見合った問題が選びとられる傾向がますます強まっているのではないか.洗練されているがリアリティに乏しい論文の数々.『歩きながら考える』研究スタイルは世紀をこえた現在も,その意味を失っていない.」
天野氏がこの記事で想定している研究分野は,人文学系であり,我々理工学系とは異なるのだが,このまとめは,つい,私たちの研究分野ではどうだろうか,とふと考えさせられる.
さて,私の覚えていたと称するジョークの中身は,正しいものから,なんと異なっていたものであろう.これが試験の解答であれば,きっと点数をもらえないに違いない.私のエスニック感がおかしいことを物語っているようでもあり,今となっては恥ずかしい気もする.
笠氏の「ものの見方について」を読んでいないのにもかかわらず,このジョークをうろ覚えでも,どうして私の頭に残っていたのであろうか.1950年代当時,笠氏の本を読まれた中学校時代の国語か社会の先生が授業中に紹介したのを,あやふやに記憶していたのではないかと,思うのだが.
先の「若き研究者のみなさんへ」のエッセイは,「走りながら考えることも・・・」の題名から,「歩きながら考えることも・・・」の題名へと改めたほうが良さそうである.
2007年2月15日記
website top page(※リーフ注:左の文字「website top page」にはリンクが張ってあります(http://www.pol.gp.tohoku.ac.jp/~hanawa/index.html))
*----引用終了-----*
<参考情報2>
ちなみに、笠信太郎の本は、
「ものの見方について」(河出書房市民文庫)は、http://item.rakuten.co.jp/bunbuku/br10-034/
読む価値があるかどうかは、この記事も参考にした方がいいかも。
「笠信太郎の書いた戦時体制の教科書」
2015年06月02日09:50
(http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51941099.html)
*------引用開始---------*
・・・
JBpressの記事を書くために本書をアマゾンの古本屋で買ったが、これが「全面講和」や安保改正で「岸退陣」を主張した朝日新聞の論説主幹の著書かと思うと、その豹変に驚くとともに、時の政権やGHQに迎合して生き延びた生命力に感心する。
笠信太郎といえば、国語の教科書で「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走りだす。そしてスペイン人は走ってしまった後で考える」といった小話で記憶している人が多いだろう。その文体はリベラルな西洋風だが、戦前の彼は『日本経済の再編成』の序文でこう書いている。
出来る限り統制から逃れようとする経済界の姿勢は、その利潤追求の個人的な本質をいよいよ露出してくる。勢い、こういう腰つきでは、経済界は政策に対して公然たる発言をなすことができなくなるほかない。しかし経済界がその自主を取り返すためには、結局のところその腐りかけた自由主義の一部分を切って捨てる必要がある。(強調は引用者。漢字かなづかいは変更)
本書の出た1939年12月には国債の増発でインフレになり、統制が強まって経済はかなり疲弊していたが、彼は「戦時経済に入っての経済統制」の成果を誇り、それを可能にしたのは国民の国策への協力だったという。それに対して経済界は「腐りかけた自由主義」にとらわれて戦争遂行への協力が足りないというのだ。
・・・
*------引用終了---------*
【リーフ私見】
いかに、言論が権力と癒着しやすいものか。権力と癒着した言論は、言論ではない。自由のかけらもない。
いかに、学問が権力と癒着しやすりものか。権力と癒着した学問は、学問ではない。自由のかけらもない。
【了】
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「心理学書やビジネス書、自己啓発書を数千冊以上読んでみた上で、大半の本の結論を一言にまとめまると、こうなります。
『グダグダ言う前にとにかく行動しろ』よ 」 だって。これ、まず歩け、まず走れに似ている。
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http://mixi.jp/home.pl#!/voice/1289112/20151024175532
twitter上も、mixi上も賛同者はそれなりにいいる。
頭によぎったのは、「走ってしまった後で考える日本人」という日本人の国民性を分析した俗説ジョークだ。
*------編集後転載-開始-------*
リーフ@民治主義 2015年10月25日 08:00
日本に右ジョークを紹介したのは朝日新聞ヨーロッパ特派員・笠信太郎氏(後に同紙論説主幹、さらに顧問:1900-1967)が1950年に出版した「ものの見方について」(河出書房市民文庫)だそうです。- イギリス人は歩きながら考える.フランス人は考えた後で走り出す.スペイン人は走ってしまった後で考える -
笠氏はスペインの外交官マドリヤーガ氏の本から引用したそうです。マドリヤーガ氏というのは国際連盟事務局長を務めた方で「祖国を思う名著」の中にこのジョークが書かれているのだそうです マドリヤーガ氏は、自国国民性を分析して反省し、笠氏は戦後の「新生日本」の歩む指針を探り当てようと書いた本であったと言う。
笠氏はイギリス人のものの見方に共感。笠氏の主張は「歩く早さがちょうどよい」「歩きながら考えるとなると第一に抽象的ななことは考えられないから,足が地に着いた考え方ができる.第二に歩くこと(実践)と考えること(思索)がバラバラでなく,平行して進む.第三に一箇所に立ち止まらず,つねに考え続けることになる」
上記の笠氏、マドリヤーガ氏の言であることを紹介してるのは、下記アドレスの情報『「走りながら」から「歩きながら」へ』。それには、日本学術会議が日本学術財団を通して1996年から毎月発行している雑誌「学術の動向」2007年1月号(第十二巻第一号)への、東京女学館大学の副学長である天野正子教授からの「思索が生まれる『現場』へ」(54-57ページ)と題する寄稿をヒントにした考察である旨、書かれています。
以上のソース:http://www.pol.gp.tohoku.ac.jp/~hanawa/ori/contents/020.html
(http://www.pol.gp.tohoku.ac.jp/~hanawa/ori/index.html)
【リーフ私見】私は、笠氏が日本軍国主義を反省し、それに持って行かれた日本国民の国民性を反省し、どうすれば日本国民がこのような過ちをせずに済んだのか、思考形態に着目して、歩きながら考える国民になれという主張に共感する。
「グダグダ言う前にとにかく行動しろ」という思想に共鳴するのは、「スペイン人は走ってしまった後で考える」このジョーク以下であると思う。スペイン人は走った後で「考える」。我が日本国民は走った後で考えたか?考えていない。この70年間たった一度も、右も左も社会契約を国民に啓蒙していない。democracyが人民支配のことであり、人民主権の事であると啓蒙していない。
上記「思索が生まれる『現場』へ」(54-57ページ)と題する天野氏の寄稿の最後の段落の全文だと言う右の分析も傾聴に値する「・・・理論や方法が差しせまって存在する問題を解き明かすために選ばれるよりも,理論や方法に見合った問題が選びとられる傾向がますます強まっているのではないか・・・」
これは憲法学の小林節氏にあてはまると思う。国家緊急権を必要とする自身の主張は「理論や方法が差しせまって存在する問題を解き明かすため」のものではない。我田引水。憲法を守らない国家やdemocracy(人民支配・人民主権)を全く認識できない国民を置いてけぼりにして、条文だけ切り出しして思考している。
権力がプロレスラーであり、権力の前には、いかに発達した国民でも、国民の「言論」は子供レベルの実力だ。そののど元に短刀を突きつけて、「俺もお前も同じ人間だよな。俺にも言論の自由があると言え」と迫っているのが安倍晋三だ。権力に言論の自由はない。権力 vs 言論 だ。小林節はこうした問題は素通りしている。
【了】
*------編集後転載終了--------*
<参考情報1>
「走りながら」から「歩きながら」へ
http://www.pol.gp.tohoku.ac.jp/~hanawa/ori/contents/020.html
(http://www.pol.gp.tohoku.ac.jp/~hanawa/ori/index.html)
*----引用開始-----*
「走りながら」から「歩きながら」へ
「若き研究者の皆さんへ(100)」のエッセイ「走りながら考えることも・・・」(2006年10月5日)の冒頭に,私はエスニックジョークとして次のようなものを覚えていると記した.
- イギリス人は走る前に考え,フランス人は走りながら考え,イタリア人は走った後で考える -
エッセイを書いているとき,その出典を探そうとして失敗していたが,つい最近,ひょんなことからそれがわかった.正しくは,次のようなジョークだったのである.
- イギリス人は歩きながら考える.フランス人は考えた後で走り出す.スペイン人は走ってしまった後で考える -
すなわち,そのエッセイの後のほうに書いたジョークの,日本人を揶揄した最後の文を除いたものが,正しかったことになる.
日本学術会議は日本学術財団を通して1996年から毎月,雑誌「学術の動向」を出版し,さまざまな情報を発信している.私も創刊当時,日本学術会議に設置された,いくつかの研究連絡委員会(研連)の委員に就任していたこともあり,この雑誌を定期購読している.
この2007年1月号(第十二巻第一号)に,東京女学館大学の副学長である天野正子教授が,「思索が生まれる『現場』へ」(54-57ページ)と題する記事を寄稿している.その中に,上記のジョークが書かれていたのである.まず,この記事から,このジョークが日本人に知られた経緯を述べることとしよう.
日本にこのジョークを紹介したのは,朝日新聞ヨーロッパ特派員,笠信太郎氏(後に同紙論説主幹,さらに顧問:1900-1967)が1950年に出版した「ものの見方について」(河出書房市民文庫)の本であった.この本はたちまち50万部を売りつくほどの大ベストセラーとなり,1950年代初頭を代表する本になったという.そして,このジョークは,一時流行語にもなったのだそうだ.
笠氏は戦時期,ヨーロッパ各国,特にイギリス,フランス,ドイツに滞在していた.そして,この3か国の国民の「ものの見方」の特徴を解き明かし,そこから,戦後の「新生日本」の歩む指針を探り当てようとして書いたのが,この本であったという.本の中では,イギリス人,フランス人,ドイツ人を引き合いに出し,結局はイギリス人のものの見方に共感し,そしてそのようなもの見方を日本人がしなければならないことを主張しているという.
笠氏は彼の本の冒頭に,スペインの外交官マドリヤーガ氏の本から,このジョークを引用した.ウェッブサイトで調べたところ,マドリヤーガ氏は,国際連盟事務局長を務めた方で,「祖国を思う名著」を記しており,その中に,このジョークが書かれているのだという.どおりで,このジョークに,スペイン人が出てくるわけである.マドリヤーガ氏は,自国の人の特徴を分析して,(恐らく,反省の上に立って)表現されたのであろう.
なお,これもインターネットで調べて知ったことだが,笠氏は,彼の本の中で,ドイツ人を評し,「ドイツ人は考えた後で歩き出し,歩き出したら考えない」とも書いているという.しかし,私自身は「ものの見方について」を読んでいないので,真偽のほどは確かではない.
さて,天野氏の記事に戻ろう.「学術の動向」の記事で天野氏は,歩きながら考えることの重要性を説いている.「『歩きながら考える』スタイル」は,「『はじめに概念や定義,理論,方法ありき』の逆をいく,当事者の生きる現場を重視する発想である」と主張する.
また,「歩く早さがちょうどよい」(2つ目の小見出し)のだそうだ.「歩きながら考えるとなると第一に抽象的ななことは考えられないから,足が地に着いた考え方ができる.第二に歩くこと(実践)と考えること(思索)がバラバラでなく,平行して進む.第三に一箇所に立ち止まらず,つねに考え続けることになる」と笠氏が主張していることを紹介している.
そして,天野氏の記事は,次のように結ばれている(57ページ).やや長文になるが,最後の段落の全文を引用しておく.
「ひるがえって大学院で論文指導をし,専門学会誌での査読者を経験してきた研究者としての立場からするとき,問題よりも理論や方法の先行した論文の多さに疑念を抱かずにはいられない.理論や方法が差しせまって存在する問題を解き明かすために選ばれるよりも,理論や方法に見合った問題が選びとられる傾向がますます強まっているのではないか.洗練されているがリアリティに乏しい論文の数々.『歩きながら考える』研究スタイルは世紀をこえた現在も,その意味を失っていない.」
天野氏がこの記事で想定している研究分野は,人文学系であり,我々理工学系とは異なるのだが,このまとめは,つい,私たちの研究分野ではどうだろうか,とふと考えさせられる.
さて,私の覚えていたと称するジョークの中身は,正しいものから,なんと異なっていたものであろう.これが試験の解答であれば,きっと点数をもらえないに違いない.私のエスニック感がおかしいことを物語っているようでもあり,今となっては恥ずかしい気もする.
笠氏の「ものの見方について」を読んでいないのにもかかわらず,このジョークをうろ覚えでも,どうして私の頭に残っていたのであろうか.1950年代当時,笠氏の本を読まれた中学校時代の国語か社会の先生が授業中に紹介したのを,あやふやに記憶していたのではないかと,思うのだが.
先の「若き研究者のみなさんへ」のエッセイは,「走りながら考えることも・・・」の題名から,「歩きながら考えることも・・・」の題名へと改めたほうが良さそうである.
2007年2月15日記
website top page(※リーフ注:左の文字「website top page」にはリンクが張ってあります(http://www.pol.gp.tohoku.ac.jp/~hanawa/index.html))
*----引用終了-----*
<参考情報2>
ちなみに、笠信太郎の本は、
「ものの見方について」(河出書房市民文庫)は、http://item.rakuten.co.jp/bunbuku/br10-034/
読む価値があるかどうかは、この記事も参考にした方がいいかも。
「笠信太郎の書いた戦時体制の教科書」
2015年06月02日09:50
(http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51941099.html)
*------引用開始---------*
・・・
JBpressの記事を書くために本書をアマゾンの古本屋で買ったが、これが「全面講和」や安保改正で「岸退陣」を主張した朝日新聞の論説主幹の著書かと思うと、その豹変に驚くとともに、時の政権やGHQに迎合して生き延びた生命力に感心する。
笠信太郎といえば、国語の教科書で「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走りだす。そしてスペイン人は走ってしまった後で考える」といった小話で記憶している人が多いだろう。その文体はリベラルな西洋風だが、戦前の彼は『日本経済の再編成』の序文でこう書いている。
出来る限り統制から逃れようとする経済界の姿勢は、その利潤追求の個人的な本質をいよいよ露出してくる。勢い、こういう腰つきでは、経済界は政策に対して公然たる発言をなすことができなくなるほかない。しかし経済界がその自主を取り返すためには、結局のところその腐りかけた自由主義の一部分を切って捨てる必要がある。(強調は引用者。漢字かなづかいは変更)
本書の出た1939年12月には国債の増発でインフレになり、統制が強まって経済はかなり疲弊していたが、彼は「戦時経済に入っての経済統制」の成果を誇り、それを可能にしたのは国民の国策への協力だったという。それに対して経済界は「腐りかけた自由主義」にとらわれて戦争遂行への協力が足りないというのだ。
・・・
*------引用終了---------*
【リーフ私見】
いかに、言論が権力と癒着しやすいものか。権力と癒着した言論は、言論ではない。自由のかけらもない。
いかに、学問が権力と癒着しやすりものか。権力と癒着した学問は、学問ではない。自由のかけらもない。
【了】
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第15-967 本家の実印と党員名簿を大阪に置いたまま(ようするに持ち出しておき)、逃げ、籍を抜いたあとで、勝手に本家を名乗って本当の本家をニセモノだと言う。二枚舌の長さとデタラメさにあきれる。 ホーム
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