第16-0296 暴力という言葉をしっかりと認識することだ。安倍晋三は、暴力的権力の権化だ。暴力的権力が、暴力で俺を倒すなと言っていることの意味をしっかりと考えてみる必要がある。暴力とは何か。
- 2016/03/23
- 02:26
■「共産党、暴力革命の方針に変更ない」 政府が認識示す
(朝日新聞デジタル - 03月22日 23:43)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3910418
●【暴力という言葉をしっかりと認識することだ。安倍晋三は、暴力的権力の権化だ。暴力的権力が、暴力で俺を倒すなと言っていることの意味をしっかりと考えてみる必要がある。暴力とは何か。】
百姓一揆で、俺を倒すな!と、安倍晋三は言っているわけだ。
百姓一揆を、暴力と言っているわけだ。
では、安倍晋三は暴力を振るってないのか?
立憲主義を破壊した。閣議決定で、集団的自衛権禁止から行使容認に180度変えて、
自衛隊を米国の指揮下、世界中どこにでも戦争に参加させるようにした。
これは権力の暴力そのものだ。
安倍晋三は、特定秘密保護法を、憲法に違反して強行採決した。
これは権力の暴力そのものだ。
安倍晋三は、消費増税をした。更に、消費増税をする。ところが、大企業減税を一方でセットでしている。大企業の株主は、今やすべてロックフェラーの支配下の4つのファンドに握られているとベンジャミン・フルフォード氏は言っている。すなわち、大企業の儲けは、国際金融マフィアがさらっていく。売国である。
安倍晋三は大泥棒をしている。これは権力の暴力そのものだ。
安倍晋三は、年金、貯金を使って株投資をする。今年に入ってすでに10兆円以上損を出しているという。軍事費予算5兆円、その二倍だ。300万人いる大学生に一人160万円づつ配賦すると約5兆円。学費無料化であまりある。この学費無料化二年分をすでに消失した。年初の一か月そこらで金融マフィアに上納したのだ。国民から強奪して。泥棒、強盗だ。犯罪者なのである、安倍晋三は。権力の暴力そのものだ。
それにとどまらない。諭吉の無限印刷をし、為替相場で紙屑ドルをどんどん買い支えている。
為替差損の大損は、介入により、垂れ流し状態だ。
権力の暴力そのものだ。
株への国民の金の投資で、株を買っては、金融マフィアに売り抜けさせて、株価を通してマネーロンダリングで、国際金融マフィアに金を貢いでいる。現在の、そして将来の、税金を貢いでいるのだ。国民の年金、貯金も貢いでいるのだ。相当の賄賂も貰っているはずだ。売国だ。
権力の暴力そのものだ。
君が代日の丸を強制する。黙秘権の破壊は、表現の自由の破壊そのものだ。
権力の暴力そのものだ。
原発をやめるどころか再稼働する。原発を輸出する。汚染拡大は放置だ。
権力の暴力そのものだ。
辺野古基地反対に対して、権力の暴力で強行している。
この暴力的権力は、非合理な事を、権力の暴力でごり押ししている。
これを暴力といわずになんというのか。
メディアを権力の暴力で、弾圧している。
もう、権力の暴力の総合商社だ。
さらに卑劣なのは、八百長選挙だ。八百長選挙マシンで、不正選挙をし、政権についた。
三権分立を破壊し、日本の司法は、安倍晋三らの権力の暴力の一翼を担っている。
我が国は、立法、行政、司法の三権が、一手に権力の暴力魔に掌握されている状況だ。
このような権力の暴力政府、権力の暴力国家が一方にあり、それに対して、抵抗する人民というのがあるという構図だ。
公務員のスト権は剥奪され、選挙の不正も正せず、内閣をゼネストで倒せず、このままでは、不正な政権に、人民は蹂躙されるばかりだ。
このようなとき、権力無き人民が、権力のある政府に対して、蜂起し、物理的に権力の座から、この暴力的権力を追い出し、逮捕し、投獄するというのは、これを暴力というなら、これは、正しい暴力なのだ。
これを暴力革命というなら、これは、
日本国憲法が基盤とする近代社会契約において、
また、日本国憲法において、
保障されている人民主権の主権の行使そのものなのだ。
人民主権というのは、主権(政治を最終的に決定する権利)は、人民にあるという原理原則だ。
暴力的国家ができ、暴力的権力が国家権力をほしいままにしているなかで、
国家の主である人民が、
主権を行使して、権力の暴力魔の国家権力を強制的に排除し、
まっとうな市民的平和権力、市民的平等権力、合理的権力にするのは、
人民主権の究極の主権の行使であり、しごくまっとうなことなのだ。
暴力的権力が、暴力革命だと言って非難する資格はまったくない。
そうした非難は、人民が主権の行使をするのはけしからんと言っているに等しいのだ。
このことを、まず、主権者人民は理解する必要がある。
国家の主人は人民なのだ、主権は安倍晋三ら国家権力者にはない。
国会にも、行政府にも、司法にも、主権はない。主権は、人民にある。
暴力的権力が、暴力革命はけしからんというのは、
人民主権の主権の行使はけしからんといっているのとおなじだ。
強盗が家に押し入ってきて、家の住人が取り押さえようとしたら、「暴力で俺を取り押えるのはけしからん」と強盗が言ってるのと同じだ。
国家強盗による「暴力革命だ」という非難は、
「人民主権の主権の行使はするな!」といってるのとおなじだ。
ふざけた話ではないか。強盗のぶんざいで。
国家強盗・安倍晋三が、暴力革命といって国家のあるじである人民を非難する権利はない。
暴力的権力者・安倍晋三や、自公政権が、暴力革命といって、国家のあるじである人民を非難する権利はない。
そもそも、democracyとは多数決のことではない。間接民主制のことではない。
democracyとは、人民支配、人民主権のことだ。
多数決は、democracyを実現する可能性のある一つの方法にすぎない。
強盗が国家を乗っ取り、暴力的権力をふりまわしていたら、
警察も検察も司法も機能しない。
どれも強盗なんだから。
人民は、これを、主権者として取り押え、投獄しなければならない。
主権の行使としての実力行使は、当然のことなのだ。
「ちょっと失礼します。強盗様、おひきとりいただけませんか?」とお願いして、安倍晋三がひきさがるわけがないではないか。
むしろ、我が国の政治勢力とインテリゲンチャは、
このような暴力的権力に対して、実力行使で物理的にこの強盗権力者を一掃する道を推し進めなければ強盗は排除できない。
人民の蜂起で、
霞が関を占拠し、
国会を占拠し、
臨時革命政権を樹立し、
日本国憲法を正しく守る市民的平和権力、市民的平等権力、合理的権力を樹立することは
必須なのだ。
権力のあるものの暴力と、権力のない者が抵抗する暴力とは、全く性質が違うのだ。
(了)
【関連日記】
暴力には正しい暴力と正しくない暴力がある。暴力的権力、非合理な権力を倒し、市民的平和権力、市民的平等権力、合理的権力に取り換えることをもって、暴力革命というなら、それは正しい暴力である。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1951261575&owner_id=38378433

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<追記>
【関連日記】
暴力には正しい暴力と、正しくない暴力があるのだ。暴力革命だけを取り出して議論するのは間違いだ。安倍晋三の暴力的権力、非合理な権力とセットにして論ずるべきものだ。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1951276647&owner_id=38378433
(朝日新聞デジタル - 03月22日 23:43)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3910418
●【暴力という言葉をしっかりと認識することだ。安倍晋三は、暴力的権力の権化だ。暴力的権力が、暴力で俺を倒すなと言っていることの意味をしっかりと考えてみる必要がある。暴力とは何か。】
百姓一揆で、俺を倒すな!と、安倍晋三は言っているわけだ。
百姓一揆を、暴力と言っているわけだ。
では、安倍晋三は暴力を振るってないのか?
立憲主義を破壊した。閣議決定で、集団的自衛権禁止から行使容認に180度変えて、
自衛隊を米国の指揮下、世界中どこにでも戦争に参加させるようにした。
これは権力の暴力そのものだ。
安倍晋三は、特定秘密保護法を、憲法に違反して強行採決した。
これは権力の暴力そのものだ。
安倍晋三は、消費増税をした。更に、消費増税をする。ところが、大企業減税を一方でセットでしている。大企業の株主は、今やすべてロックフェラーの支配下の4つのファンドに握られているとベンジャミン・フルフォード氏は言っている。すなわち、大企業の儲けは、国際金融マフィアがさらっていく。売国である。
安倍晋三は大泥棒をしている。これは権力の暴力そのものだ。
安倍晋三は、年金、貯金を使って株投資をする。今年に入ってすでに10兆円以上損を出しているという。軍事費予算5兆円、その二倍だ。300万人いる大学生に一人160万円づつ配賦すると約5兆円。学費無料化であまりある。この学費無料化二年分をすでに消失した。年初の一か月そこらで金融マフィアに上納したのだ。国民から強奪して。泥棒、強盗だ。犯罪者なのである、安倍晋三は。権力の暴力そのものだ。
それにとどまらない。諭吉の無限印刷をし、為替相場で紙屑ドルをどんどん買い支えている。
為替差損の大損は、介入により、垂れ流し状態だ。
権力の暴力そのものだ。
株への国民の金の投資で、株を買っては、金融マフィアに売り抜けさせて、株価を通してマネーロンダリングで、国際金融マフィアに金を貢いでいる。現在の、そして将来の、税金を貢いでいるのだ。国民の年金、貯金も貢いでいるのだ。相当の賄賂も貰っているはずだ。売国だ。
権力の暴力そのものだ。
君が代日の丸を強制する。黙秘権の破壊は、表現の自由の破壊そのものだ。
権力の暴力そのものだ。
原発をやめるどころか再稼働する。原発を輸出する。汚染拡大は放置だ。
権力の暴力そのものだ。
辺野古基地反対に対して、権力の暴力で強行している。
この暴力的権力は、非合理な事を、権力の暴力でごり押ししている。
これを暴力といわずになんというのか。
メディアを権力の暴力で、弾圧している。
もう、権力の暴力の総合商社だ。
さらに卑劣なのは、八百長選挙だ。八百長選挙マシンで、不正選挙をし、政権についた。
三権分立を破壊し、日本の司法は、安倍晋三らの権力の暴力の一翼を担っている。
我が国は、立法、行政、司法の三権が、一手に権力の暴力魔に掌握されている状況だ。
このような権力の暴力政府、権力の暴力国家が一方にあり、それに対して、抵抗する人民というのがあるという構図だ。
公務員のスト権は剥奪され、選挙の不正も正せず、内閣をゼネストで倒せず、このままでは、不正な政権に、人民は蹂躙されるばかりだ。
このようなとき、権力無き人民が、権力のある政府に対して、蜂起し、物理的に権力の座から、この暴力的権力を追い出し、逮捕し、投獄するというのは、これを暴力というなら、これは、正しい暴力なのだ。
これを暴力革命というなら、これは、
日本国憲法が基盤とする近代社会契約において、
また、日本国憲法において、
保障されている人民主権の主権の行使そのものなのだ。
人民主権というのは、主権(政治を最終的に決定する権利)は、人民にあるという原理原則だ。
暴力的国家ができ、暴力的権力が国家権力をほしいままにしているなかで、
国家の主である人民が、
主権を行使して、権力の暴力魔の国家権力を強制的に排除し、
まっとうな市民的平和権力、市民的平等権力、合理的権力にするのは、
人民主権の究極の主権の行使であり、しごくまっとうなことなのだ。
暴力的権力が、暴力革命だと言って非難する資格はまったくない。
そうした非難は、人民が主権の行使をするのはけしからんと言っているに等しいのだ。
このことを、まず、主権者人民は理解する必要がある。
国家の主人は人民なのだ、主権は安倍晋三ら国家権力者にはない。
国会にも、行政府にも、司法にも、主権はない。主権は、人民にある。
暴力的権力が、暴力革命はけしからんというのは、
人民主権の主権の行使はけしからんといっているのとおなじだ。
強盗が家に押し入ってきて、家の住人が取り押さえようとしたら、「暴力で俺を取り押えるのはけしからん」と強盗が言ってるのと同じだ。
国家強盗による「暴力革命だ」という非難は、
「人民主権の主権の行使はするな!」といってるのとおなじだ。
ふざけた話ではないか。強盗のぶんざいで。
国家強盗・安倍晋三が、暴力革命といって国家のあるじである人民を非難する権利はない。
暴力的権力者・安倍晋三や、自公政権が、暴力革命といって、国家のあるじである人民を非難する権利はない。
そもそも、democracyとは多数決のことではない。間接民主制のことではない。
democracyとは、人民支配、人民主権のことだ。
多数決は、democracyを実現する可能性のある一つの方法にすぎない。
強盗が国家を乗っ取り、暴力的権力をふりまわしていたら、
警察も検察も司法も機能しない。
どれも強盗なんだから。
人民は、これを、主権者として取り押え、投獄しなければならない。
主権の行使としての実力行使は、当然のことなのだ。
「ちょっと失礼します。強盗様、おひきとりいただけませんか?」とお願いして、安倍晋三がひきさがるわけがないではないか。
むしろ、我が国の政治勢力とインテリゲンチャは、
このような暴力的権力に対して、実力行使で物理的にこの強盗権力者を一掃する道を推し進めなければ強盗は排除できない。
人民の蜂起で、
霞が関を占拠し、
国会を占拠し、
臨時革命政権を樹立し、
日本国憲法を正しく守る市民的平和権力、市民的平等権力、合理的権力を樹立することは
必須なのだ。
権力のあるものの暴力と、権力のない者が抵抗する暴力とは、全く性質が違うのだ。
(了)
【関連日記】
暴力には正しい暴力と正しくない暴力がある。暴力的権力、非合理な権力を倒し、市民的平和権力、市民的平等権力、合理的権力に取り換えることをもって、暴力革命というなら、それは正しい暴力である。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1951261575&owner_id=38378433

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<追記>
【関連日記】
暴力には正しい暴力と、正しくない暴力があるのだ。暴力革命だけを取り出して議論するのは間違いだ。安倍晋三の暴力的権力、非合理な権力とセットにして論ずるべきものだ。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1951276647&owner_id=38378433
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第16-0295 暴力には正しい暴力と正しくない暴力がある。暴力的権力、非合理な権力を倒し、市民的平和権力、市民的平等権力、合理的権力に取り換えることをもって、暴力革命というなら、それは正しい暴力である。